”日本企業で経営者になる人材というのは、社内政治を勝ち上がってきたというだけで、本来の経営能力があるわけではない”

現代ビジネスに、辻野 晃一郎氏の寄稿によるこんな記事があった。

”先日、日本にも投資先を多く持つ著名な米国人アクティビストと懇談する機会があった。彼は、「日本企業で経営者になる人材というのは、社内政治を勝ち上がってきたというだけで、本来の経営能力があるわけではない。だから日本には『ゾンビ企業』が多い」と辛辣な言い方で彼なりに日本病を見抜いていた。”


そうなのだ。経営能力だけではなく、人望も、覚悟も、哲学もおそまつだろう。簡単にガイジンに見抜かれるぐらい、明白にそんな経営者が”経営する”企業がはびこっているのだ。1つ2つの特殊な事例じゃない。殆どの歴史ある有名企業がそうだと言ってよいだろう。そして、そのような企業に勤める多くの人も分かる人は分かっている。役員に接することが殆ど無いような人は中々気づかないかもしれないが、それはそれで皮肉にも幸せかもしれない。知らぬが仏だ。分かっている人の多くは、出世のために目の前のエセ経営者に媚びへつらい忖度し続ける。そしてそのような社員が登用されてゆき、益々上層部ほどダメな人材が集まる。”現場は一流、経営は三流”と言われるゆえんだ。

 

宋文洲氏のメルマガに、働き方改革についてこんな記述があった。

”自分の家族を守るために少しでも収入を改善しようと時計の針を見ながら残業代を計算する父親の姿が目に浮かびます。しかし、彼らは兼業できない、転職しにくいから、一つの会社に媚びを売って忖度し、他に通用しない社畜に成り下がるしかないのです。だから安い残業代を狙って、少しでも収入が良くなるように頑張っています。”

 

これも、その通りだと思う。ゾンビ企業のなんちゃって経営者たちは、働き方改革は社員自らやるもの、しっかりやれ、とでも考えているのだろう。本来の経営能力がないのだから、それも当然の思考回路の産物と思われる。社員に向かって残業削減を前提にして「皆さん、働き方改革は実践できていますか」などと間抜けなメールを送るアホな本部長はどこかにいませんかぁ?