100年続く日本企業で、経営者の質の劣化が止まらない

すでに手遅れな気がする。これまで発展を続けてきて世界的にも名前が知られる有名企業が、これからどんどん衰退する。なぜならそれらは、経営者にふさわしくない人間がその座についているから。

内部昇格で経営者の座にまで上り詰めた者は、大抵、同じ組織内にいる誰よりも上に行きたい、出来るだけ多くの人間の上に君臨し意のままに動かしたい、下よりも上に好かれたい、でも責任は取りたくない、という競争に打ち勝ち、その結果、経営者の座についている。この恐ろしさ。

企業が100年続くのはすごいことだと思うが、勤務する会社が自分が勤務をやめた後も50年、100年と続いて欲しいと思うだろうか。大抵は、愛着があるから続いて欲しいと思うだろう。もし倒産したり、外資に吸収されて形が無くなったりしたら残念に思うのが普通だろう。でも、単に残念という感情だけの問題で、大株主でもない限り別に実害はないはずだ。卒業した小学校が閉校になるようなもの。

もし自分の祖父が創業し、父が2代目社長を引継ぎ、自分が3代目社長となって、今後も息子・孫に社長を引き継がせるのが前提となっている同族会社であるならば、自分が退任したあとも50年、100年と会社が続くことを真剣に願うだろう。でもそうでないなら、長年勤務した社員にとって、その会社の永続的な発展など、それほど大事なものではないはずだ。自分が受け取る給与や企業年金に影響しないのであれば、会社が時代の波に流されて変貌してゆくのを客観的に見ていれば良いだけだ。あるいは見なくても構わない。

但し、役員はそうではない。役員は、株主の委託を受けて経営を担っている。株主は、企業価値の向上を期待して投資しているわけで、その企業が長期的に発展を続けてくれなければ困る。もちろん株主にもいろんな種類が存在するが、会社に取って最も大事な株主は長期保有者であるはず。であれば、役員は自分の任期と関係なく、短期的な業績のみならず、中長期的にも会社が発展しつづける(最低でもそう思わせる)策を実施する責任がある。それが出来ないようなら役員の資格はない。

創業者(またはその一族)でもなく、長くサラリーマンでやってきた人間が出世競争を勝ち上がり、役員になって、果たしてどれだけ真剣に、会社の中長期的な発展を考えられるだろうか。役員の地位は出世競争のゴールでもご褒美でもない。サラリーマン根性のアマチュア経営者に、中長期の使命感を期待する方が無理だろう。日本の多くの老舗企業で、おそらく数世代前から経営者の多くがこのような人間によって占められる状態になってしまい、ほころびが出始めているのが昨今の状況なのだろう。